自己決定権


 人を傷つける犯罪は問題外としても、薬物や性の商品化に関しては、「自分はやらないと思うが、本人の自由」「人それぞれだから」といった許容的な意識が若者にかなり広がっている。

「他人に迷惑をかけない限り、自分の肉体や精神の扱いについては選択の自由がある」という自己決定権の原則が受容されているのだ。

 近年マスコミなどで「最近の若者は、お互いの内面に深く立ち入らず、表面的な人間関係しか持たない」といわれるが、こうした現象はこの「人はそれぞれ」という原則の一つの現れとして捉えられる。

 もっとも、若者が互いの内面を共有する関係を全く持たないというより、そうできる相手/できない相手を微細に差異化しているというほうが実情に近いだろう。

 実際に凶悪犯罪や覚醒剤乱用、あるいは援助交際などに走る少年少女たちは、もちろん数的には全体のごく一部にすぎない。

 いずれにせよ、この自己決定権の論理を突き詰めると、薬物乱用・売春・自殺、さらには臓器売買の肯定という難問が導かれることになる。

 だが、子供を積極的な権利行使の主体として捉える「子供の権利条約」も批准した今、日本も自己決定権を原則として専重する方向へと進まざるを得ないだろう。

 98年4月に埼玉県で、学校行事のあり方をめぐって校長と生徒会が対立する所沢高校問題が起こったが、生徒たちは同条約の「意見表明権」の侵害だとして日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを行った。

 大人たちが子供の自己主張に真剣に向き合うべき時代が釆ている。

「imidas'99より」
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