5)大槻玄沢生誕地・・・桜木町

 桜木町の空き地の中に、にょっきりと建っているのは大槻玄沢(おおつきげんたく)生誕地の碑です。おそらく一関出身の中で一番有名な人といったらこの人になるのではないでしょうか。
 玄沢(1757〜1827)は建部清庵に師事したあと、江戸に出て「解体新書」で歴史の教科書に登場する杉田玄白・前野良沢に学びました。両師から将来を大いに嘱望され名前を一字づついただいて「玄沢」とし、本場長崎で学んだ後日本で初の蘭学塾「芝蘭堂(しらん)」を開き、杉田玄白の学問上の後継者として、日本の科学・医学の発展、本格的な西洋研究に百名を上回る人材を輩出しました。
同時にオランダ語の入門書「蘭学階梯」を著わし、また解体新書を大幅に加筆訂正した「重訂解体新書」13巻を出版しました。
 柴蘭堂はまた、蘭学者を中心に多くの知識人・文化人が集い、蘭学の一大拠点をなしていました。ここから日本中に蘭学が広がりました。ここでは「新元会」(オランダ正月)と言って日本で初めて太陽暦によるオランダ風の正月を祝った事でも知られている。
この高校の歴史教科書にも取り上げられているオランダ正月は仙台市の医師・阿曽沼要氏によると「長崎の大通詞でオランダ流外科医であった吉雄耕牛は、自宅の2階の洋間でオランダ人の祝宴を真似て「オランダ正月」を開催し、江戸から留学していた大槻玄沢も招かれてオランダ料理を楽しんだといいます。江戸に戻った大槻玄沢が、寛政6年11月11日(1795)、自分の私塾堂で「新元会」というオランダ正月の祝宴を張るようになりました。
 最近では蘭学者によるオランダ正月についての研究論文をもとに、関東や関西のホテルでオランダ正月料理を復元しているそうです。さらに、大槻玄沢の師前野良沢が活躍した大分県中津市でも、オランダ正月料理を再現したものが食べられます。中津市の川嶌整形外科病院理事長の川嶌眞人先生が、再現したものです。」とあります。
 現在「オランダ正月」神戸・長崎・中津で再現されているが、大槻玄沢の生誕地、この一関でも再現されてもいいのではないでしょうか?草創期の蘭学者として大きな足跡を残した「杉田玄白(若狭国小浜藩・福井県小浜市)」「前野良沢(豊前国中津藩・大分県中津市)」との積極的な交流をすすめてもいいのではないでしょうか!?


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