もちの種類 II

◆ 搗き餅 II

そのほかのもち 


○揚げもち  ○あぶりもち  ○いかもち ○いっそもち

○炒りもち  ○きびもち   ○きらずもち(おからもち・かすもち) 

○栗粉もち  ○しいたけもち ○ぬさもち ○うにもち 

○しらすもち ○山菜もち

◆ 練り餅(米粉もち)
かしわ餅  5月5日は言わずと知れた「端午の節供」。「粽を供え柏餅などを食べてお祝いする。・・・一関地方の年中行事(昭和22年頃)による」
 「かしわ」の名前は「炊ぐ葉」「炊葉(かしきば)」からきている。葉には吐血、血痢止めに用いられるなど薬効があるので、古来より食べ物を盛る器として、食物を包んで蒸す時に使われていたようです。
 同時に柏の葉は新芽が出始めてから古い葉が落ちるので、家系が途絶えない縁起の良い葉として喜ばれ、端午の節句に盛んに使われるようになりました。ところが関西はサンキライの葉で包むところもあるという。
 柏餅は上しん粉を用いて作られたしん粉もちの一種で、他に団子・外郎・州浜・切山椒・お茶餅などがあり、また、しん粉もちの仲間には笹餅などもあります。

※中は小豆こしあんが基本ですが、味噌あんなどもよく見かけます。鹿児島の柏餅はむらさき芋の餅を包んだものもあるといいます。
柏もち

○うちわもち(お茶もち・うじゃもち・串焼きもち・軍配もち・味噌つけもち・串もち・そばもち)

○柿もち
「柿もち」これはまだお目にかかったことのない餅で「聞き書き岩手の食事」に掲載されていたものです。
※材料に渋柿の熟したもので干し柿にできないものを使用。皮と種子を取り除いた柿にもち米粉の香煎をいれる。1時間ぐらい寝かせたあとせいろに入れて蒸す。蒸し上がったら臼に入れて搗く。途中で片栗粉を入れて更に搗く。搗き上がったら餅箱に入れて1〜2日置いておき、適度な固さになったら出来上がり。切り分けてきな粉をつけていただく。
と記されています。蒸し餅と表現した方がいいのかもしれません。柿のやわらかい甘さが自然に想像出来、いつかは食べてみたいものです。
※調べてみると「佐渡の柿もち」というのがありました。干し柿あるいは熟し柿をすりつぶし、米粉と練り合わせて蒸し、短冊形に切った餅菓子。また「干し柿と糯米(もちごめ)をあわせた蒸し餅の事で、江戸時代中期まで一般的に作られていました。
※石川県のけやき製菓(有)HPより引用」というのもあります。福島県や栃木県でもお目にかかれるようです。

 

【MEMO】宮城県栗原市の産直・道の駅では餅米ではなく、粳米の新粉を使ったいろんな餅がよく売られている。

その他のもち


○あぶらもち 

あわぼもち(あわもち)
 小正月の行事に「粟穂稗穂」というのがあります。カツの木の棒を削り粟や稗に見立てて木の枝にくくりつけて、一年の豊作を祈るという行事です。近年は家庭ではなかなか見かけず、公民館などの地域の行事としてやるところが出ています。
 正月の14日に小正月用の餅つきをします。二番臼であわぼ餅を搗きます。粟にはうるち粟ともち粟があり、粟穂餅はもち粟と糯米をあわせて搗いて作ります。つきあげたら手のひらほどのまるこ餅にしておきます。栗の木でつくった8個の粟穂をならし、大黒柱に結びつけておく。
 三十日正月に取り外し、2月の室内でのわら細工などの作業の時に焼いて食べます。(厳美地方の民俗資料より)
 もち粟だけでつくった粟餅は、淡い黄色をしていて作り立ては上品な味で美味しいのだが、冷めると固くなりすぎて食べにくいので、糯米と合わせるといいといわれます。

※和菓子としても伊勢赤福の「八朔粟餅」を筆頭に全国でつくられています。

○いももち 

ぼたもち(おはぎ)
(八朔のにがもち)

 うるち米ともち米を混ぜたものを蒸して、米粒が残る程度に軽くついて丸め、あんをまぶした食べ物である。(米を半分潰すことから「はんごろし」と呼ばれることもある。)
 一関地方町方年中行事記(昭和初期)によると、「八朔の苦餅(ぼたもち)を食す」とある。この日以後夜なべが始まる。とある。

 もともとは陰暦8月1日、この日の行事のことを八朔−たのみの節、たのもの節とも呼ばれ、農村の豊作祈願の行事である。この風習が各層に広く流行し、日頃の恩顧を感謝する行事として広まったようである。特に江戸幕府が公式の祝日と定めたという。宮中では尾花粥を供御の献上する行事があった。
 一関地方では「山目・はっさく/たのみ、小豆粥を食べ豊作を願う」「一関・弥栄・八朔/カヤの尾花を新米の小豆粥の中へ三本立てて神にあげる。これは農作の神をまつるものだといわれる(おばな粥)」「舞川・八朔の一日/餅を搗いて作神に供える」「滝沢・中里・八朔/その年の新米を神様に供え感謝する日、ヤゴメを作って食べる」萩荘にいたっては「八月朔日/新穀を供え一般に業を休む」
 したがって、ご家中から町方に広まった食べ物かもしれません。

※宮城では彼岸に、ずんだあんで包むずんだおはぎもつくる(聞き書き宮城の食事)といいます。
※じゅうね(=エゴマ)ぼたもちというのが福島、栃木方面にあるらしい。

ぼたもち
左: 陰暦9月12日、日蓮宗では「御難の餅」といって胡麻のぼたもちを作って供えるそうです。
中:名物ずんだでつくったおはぎ。
右:小豆あんでつくったおはぎ。
他にきなこなども。。。

○おつこもち ○かぶけえもち ○花もち  ○むぎもち

○かます焼きもち(かま焼き・けえばもち)  ○くずの根もち   

○きらずもち(おからもち・かすもち)    ○けえもち 

○おかゆすんもち(お粥凍餅)

 まだ実際にはお目にかかったことがないのですが、一関の東部ではつくられているといいます。
 作り方は、餅米を2割、うるち米を8割としておかゆを炊いて、砂糖、塩を入れ混ぜ冷まします。寒中に3日間ほど凍らせて1個ずつワラで編みます。軒下や風通しの良い場所に吊るして自然乾燥させる。(あまり柔らかすぎると凍み餅の歯ごたえがなく、美味しくない)
 そのままでも食べられますが、炭火で焼いて食べても香ばしく美味しい。また、油で上げたりすると香ばしくなり、より一層おいしくなります。

※お米が大変貴重であった時代から、余ったごはんを利用して冬場に作っておいて、畑仕事や山仕事の際のおやつ、非常食としてきたものが原型と言われています。凍み餅なんですが、ご飯餅の一種と分類したいものです。西和賀町では「粥っこ餅」と呼ばれています。

○ごはんもち ○小麦焼きもち

○しいなもち(すなもち)
 物の本によると【しいな「粃」、殻の中に実がないか十分に大きくなっていない米、出来の悪い米、穀物は「秕」と書く】とあるように、くず米や青米の粉のことをいいます。江戸時代は年貢(税金)は米で納めていました。又、小作農といい自分の田んぼではなく、庄屋さまの田んぼを借りていたので、賃料も納めなければなりません。農民の暮らしは貧しく、白米を食べれるのは正月ぐらいだったといいます。(普段は大根や穀物を混ぜ込んだ「糧(かで)飯」を食べる)
 さらに伊達藩(田村藩含む)では毎月1日と15日に神様にもちをお供えしなければならず、自分たちは上記の「しいな」やさらにヒエや粟などの雑穀を加えて作った「しいな餅」を何とか美味しく食べようと工夫したのが、現在に伝わる餅料理になったといいます。
 昭和30年代まではしいなもちを食べたことがあるといいますから、そんな昔々のことではないですね。

 

○しだみもち(どんぐり)

 しだみ餅の"しだみ"は方言でどんぐりのことを言います(しだみ=下味から来るという説もあります)。ドングリ(団栗)は渋味があるので、アク抜きをしなければ食べられないが、日本各地で縄文時代から食料となっていたそうです。最近まで、飢饉のときの非常食として蓄えられていたといいます。戦前、戦後の一時期には食べた人も居るようですが、今では知らない人が多数でしょう。
 現在でも県北の久慈、野田、岩泉地方では産直などで売られていると言い、「一度は食べてみたいな」と思っています。

※灰汁(あく)を抜くために数日間から一週間程度水にさらした後、粉状にして蒸してついたものに砂糖を加え餡にして小麦粉の皮で包み、ゆでたもののようでした。

○そばけもち     ○そば焼きもち ○でんがくもち 

○みそばっけもち(ばっけの味噌焼きもち)

 東北一帯はおろか、広く全国に知れわたっているのが「ばっけみそ」(ふきみそ)である。でも、これを使った餅は考えたことが無かった。しかし調べてみるとあるもんだ、妙に感心してしまった。「もち」とはいえ、糯米を使った料理ではなく、おかずかお酒のあてにいいようだ。今度作ってみようか。
 「ばっけ」は「ふきのとう」の方言で、雪どけとともにいち早く小さな顔を出し、爽やかなほろ苦さが春の訪れを感じさせてくれます。このほろ苦いばっけをみじん切りにし、細かく刻んだ地場産のくるみと味噌、砂糖を入れあわせて、中火でゆっくりと両面を焼きます。その香ばしい風味がごはんのおかず、おやつや酒の肴として食されています。

※みそばっけもちは「農山漁村の郷土料理百選」候補に掲載、ばっけの味噌焼きもち(住田町)は「いわての文化情報大事典の郷土料理」に掲載されていた。インターネットで検索してみると掲載されているものの大半はこの二つが出典元となっている。

○とちもち(とちのみ)○のりもち   ○ふすべもち  

○耳もち       ○わらびの根もち 

○うちわもち(お茶もち・うじゃもち・串焼きもち・軍配もち・味噌つけもち・串もち・そばもち)

 

☆印は宮城県栗原地方のもち


 

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